Appleの新しいOSデザイン「リキッドグラス」に感じる使い心地と、率直な感想

そろそろLiquid Glassに慣れてきた頃ですか?新しさと懐かしさの狭間で思うこと

アップデートを終えた翌朝、寝ぼけながら手に取ったiPhoneのロック画面がふっと光る。そこに並ぶ「透けた」通知リストをぼんやり見ながら思うのは、「あれ?誰のiPhone?」。そんな新しい朝の訪れとともに、Appleユーザのデジタルライフにも、とても大きな変化が訪れた'25の秋でしたね。

新しいOSがリリースされてから、しばらくの時が経ちました。Appleが満を持して発表した新デザイン「Liquid Glass(リキッドグラス)」の世界、その新しい質感にそろそろ馴染んできた頃でしょうか。

SNSからは「近未来的で最高にかっこいい」「画面が広くなった気がする」という歓喜の声が聞こえてくる一方で、「なんだか見づらくなった」「目が滑る気がする」といった戸惑いの声もちらほら見かけます。皆さんはどうですか?

私はというと、正直なところ、その両方の気持ちを行ったり来たりしている毎日です。美しさに息を呑む瞬間もあれば、急いでいるときに操作に迷って「ん?」と指が止まってしまう瞬間もある。

それは、私がiPhone4s、5sと続き、そして6Plusに機種変更した時の、あの懐かしい感覚に似ています。4sや5sのソリッドでスマートなデザインから、手に馴染む丸みを帯びたフォルムへ変わった時の、新鮮な驚きといくつかの戸惑い。

今日は、iMac、iPhone、Watch、CarPlayと毎日をApple製品と暮らすいちユーザとして、この「Liquid Glass」という新しいガラスの扉について、そして、新しさと懐かしさの狭間で揺れる私の小さな葛藤について、感じるままに、ゆるりと綴ってみようと思います。少し長めの読みものになると思うので、コーヒーでも飲みながらまったりとお付き合いください。

そもそも、このLiquid Glassとは何なのでしょうか。

直訳すると「液体のガラス」。なんだかSF映画に出てきそうな響きですが、実際にiOS 26やmacOS Tahoe 26にアップデートされた画面を見て、そのネーミングの妙に納得しました。

それは、透明な水の中にガラス細工を沈めたときのような、あるいは雨上がりの窓ガラスのような、不思議な質感です。「半透明」という言葉だけでは説明しきれない、奥行きや揺らぎのようなものがあります。向こう側が透けて見えるけれど、そこに確かな「物質」があるような感覚。背景の壁紙を変えれば、その色をうっすらと吸い込んで、アイコンたちがカメレオンのように馴染んでいく。

周囲の光や背景の色に合わせて、アイコンやボタン、パネルの色みもふんわりと変わります。たとえば、夕暮れ時の少し薄暗い部屋では、画面の中のボタンたちも少ししっとりとした輝きを帯びます。逆に、太陽の下や明るいカフェではキラキラと光を反射するかのような明るさを見せてくれるのです。

iMacでは、いつも白色のメモアプリやテキストエディットなどを画面いっぱいに広げているので、最初は気づかなかったのですが、「ああ、きれいだな」と、素直にそう思える瞬間がありました。

Mission Control(ミッションコントロール)で仮想デスクトップを表示したときです。デスクトップに並ぶフォルダやウィジェットが、まるで磨き上げられたガラスのオブジェのように並んでいる様子は、見ていてとても気持ちがいいものです。とくに、Dock(画面下のアイコンが並んでいる部分)の透明感が以前よりも増していて、画面全体がひと続きの空間のように広く感じられます。

通知センターやコントロールセンターを開けば、背景がすりガラスのようにぼやけ、通知カードがふわりと浮かび上がる。この挙動も、とても自然で心地いいのです。

Appleが目指したのは、きっとこの「無意識に感じる心地よさ」なのでしょう。視覚的なノイズが減り、空間が整理されたような清々しさ。それは、散らかった部屋を片付けたあとの空気に少し似ているかもしれません。

ボタンやスライダの操作感も変わりました。これはiPhoneでミュージックアプリを操作しているときに気づいたのですが、スライダを動かしたりボタンを押した瞬間に、ガラスが沈み込むような、あるいは水面が揺れるような微細な動きがあったり。

またパスコードの数字を押せば、そこだけ擦りガラスが解けて、背景がパッと鮮明に見えたりもします。これによって、「今、自分はこのボタンを押したんだ」という感触が、指先から脳へとスムーズに伝わってくる気がします。

これまでのOSデザインが決して良くなかったわけではありません。でも、Liquid Glassに触れた後だと、以前のデザインが少し「止まって」いたように感じられるのも事実です。それくらい、この新しいマテリアルが持っている「流動性」や「反応」は、視覚的な快感を与えてくれます。指先の動きに合わせて光が追従してくる感覚は、Appleが得意とする「触れる喜び」を一段階引き上げたと言ってもいいかもしれません。

でも、美しいからといって、すべてが手放しで歓迎できるかというと、どうやら私にとってはそう簡単な話ではないようです。iPhoneやCarPlayのように、日常的に使う場面では、また別の感覚が顔を出してくるのです。

私は以前から、Apple製品の持つ「道具としての美しさ」に惹かれてきました。私がiMacに向かうとき、あるいはiPhoneを手に取るとき、そこにはある種の「心地よい緊張感」がありました。仕事道具としての頼もしさと言ってもいいかもしれません。

しかし、Liquid Glassによってデザインが一新されたアプリアイコンたちを見て、私は胸の奥でウッ…?とした違和感を覚えました。

アイコンが、丸いんです。

もちろん、これまでも角丸のデザインではありましたが、今回のLiquid Glassによる処理は、その丸みをより強調し、柔らかな印象を強めています。そして、背景が透けて見えることで、アイコンフォルダの存在感が、どこか希薄になったように感じてしまったのです。

冒頭でも少し触れましたが、この感覚、以前にも味わったことがあるなと思い出してみると、iPhone 5sからiPhone 6Plusへと機種変更したときのショックに似ていました。

覚えている方もいらっしゃるでしょうか。iPhone 4sや5sが持っていた、あのソリッドなフォルムでありながら絶妙な曲線。手に持ったときに感じる硬質な角の感触。あれこそが「最新のテクノロジーを所有している」という満足感につながっていました。というより、あの凛とした佇まい。それはまるで、仕立ての良いスーツを着たときのような、背筋が伸びるような感覚を与えてくれました。

それがiPhone 6でつるんとした丸みを帯びた形状に変わったとき、「なんだか頼りない石鹸みたいになってしまった」と、寂しく思ったものです。もちろん、人間工学的には丸いほうが手に馴染むのかもしれません。でも、私が求めていたのは、媚びない硬派なスタイルだったのです。

それと同じ種類の寂しさと、あの時感じたショックと似たものを、Liquid Glassで感じています。

iPhone画面ではコントロールセンターに並ぶ「操作アイコン」の丸みと、アプリアイコンをまとめているフォルダの透け感に。CarPlayではインターフェースに並ぶ「アプリアイコン」の丸みに。とくにCarPlayで見るアプリアイコンは、並び方のせいなのか、なぜかiPhoneやiMacで見るときよりも丸みが強くて違和感があるんです。

Liquid Glassと検索すると「ダサい」という言葉が並んでいるのも目にします。あまりネガティブなことは言いたくないけれど、CarPlayに関してははっきりと言いたい。ダサいんです。Appleさんごめんなさい。

アイコンは、すべての作業を始めるための入り口です。何をするにしても、まずはそのアプリアイコンや操作アイコンをタップあるいはクリックしなければなりません。それは言ってみれば、仕事から帰ってきて「ただいま」と開ける自宅の玄関であり、自分の部屋への扉のようなものです。その扉が、ある日突然、好みとはまったく違う軟派なデザインに変わってしまったとしたらどうでしょう。

「ここ、私の家だよね?」

そんな落ち着かなさが、画面を見るたびに私の心をざわつかせます。毎日帰る場所だからこそ、どっしりと構えていてほしい。硬派で揺るがない存在であってほしい。そう願うのは、私の古いこだわりなのでしょうか。「硬派」なスタイルが好きだった私にとって、この「優しすぎる」デザインは、少しだけ頼りなく映ってしまうのかもしれません。

違和感は、見た目の好みだけではありません。実際に操作をしていて感じる、指先の「迷い」にもあります。

Liquid Glassの採用によって、アプリ内のコントロールバーやナビゲーションのデザインも大きく変わりました。これまでは画面の端に固定されていた長方形のバーが、コンテンツに合わせて形を変えたり、フロート(浮遊)したりするようになりました。

たとえば、音楽アプリを開いているとき。再生ボタンや曲送りボタンの周りが、アルバムアートの色を拾って美しく滲みます。スクロールすると、タブバーがキュッと小さくなって、コンテンツを広く見せてくれます。

「ユーザの注目を高める」というAppleの狙いは、確かによくわかります。Safariで調べ物をしたり、動画を見たり、写真を眺めたりするとき、余計な枠組みが消えて没入感が高まるのは素晴らしい体験です。けれど、いざ「操作しよう」と思ったとき、ほんの一瞬手が止まるのです。

「あのボタンは、どこにいった?」
「この重なっている表示の、どこを押せばいいの?」

これまでは「ここにある」と決まっていたボタンが、状況によって姿を変えたり、背景に溶け込んだりしている。美しくなった分、記号としての「ボタンらしさ」が薄れてしまったように感じるのです。

ひとつの操作をするにも、「どのボタンをタップするのか」と目で探し、脳が判断する。コンマ数秒にも満たない時間ですが、そこにほんの小さな「考える」というワンクッションが挟まるようになりました。

これまでのApple製品の良さは、説明書なんてなくても、直感的に指が動くことにありました。「押せそう」な場所を押せば、期待通りの反応が返ってくる。その思考のスピードと操作のスピードが直結する快感こそが、スマートさだったはずです。もちろん今でも直感的だと思いますが、小さな迷いというワンクッションが挟まってしまう。

Liquid Glassのデザインは、視覚的にはとてもリッチです。しかし、そのリッチさが、時としてノイズになっていると感じることがあります。たとえば、iPhoneのSafariで調べものをしているとき、検索窓にあるアイコン情報とSafariの文字が重なる。そのレイヤー(層)で、私の脳は無意識のうちにカロリーを消費しているのかもしれません。

ここまで書いてきて、ふと不安になることがあります。

「もしかして、私が時代についていけてないだけ?」
「実は自分が時代からズレていて、これが今の時代の『スマートさ』なのだろうか?」

世の中にはこの変化を歓迎している人がたくさんいます。SNSを見渡せば、「アニメーションが滑らかで、操作していて気持ちがいい」「ウィジェットのカスタマイズが楽しい」「今までで一番ワクワクするアップデートだ」といった声が溢れています。

とくに、近年iPhoneやMacを使い始めた若い世代の人たちからは、このLiquid Glassの「生き生きとした」感じが、とても好評のようです。彼らにとっては、固定された無機質なボタンよりも、自分の操作に合わせて反応してくれる有機的なインターフェースのほうが、自然で親しみやすいのかもしれません。

人は新しいものに出会ったとき、二通りの反応を示すと聞いたことがあります。ひとつは、最新のものに触れる喜びを感じ、柔軟に受け入れる人たち。もうひとつは、特に大きな理由がなくても、変化そのものにまず抵抗を感じてしまう人たち。

私のこの小さな違和感や、かつての角ばったデザインへの郷愁は、単に私が「変化を恐れる後者」になってしまったからなのでしょうか。これが、今の時代が求める「スマートさ」の新しい形なのかもしれません。

情報は固定されるものではなく、流動的なもの。境界線ははっきり引くものではなく、曖昧に溶け合うもの。そんな時代の空気感を、Appleはデザインに落とし込んでいるのかもしれないのです。だとしたら、私が好んだあの「硬派なスタイル」は、もう過去の遺物になってしまったのでしょうか。そうではないと思いたい自分がいます。

それでも、毎日使い続けていると、ふとした瞬間に「おっ」と思うことがあります。

たとえば、ロック画面の時計のフォント。背景の写真の被写体に合わせて、数字の一部が隠れたり、影が落ちたりする演出があります。これはLiquid Glassならではの「深度」を活かした演出ですが、愛猫シャモンの写真を表示させている時に、時計の文字が耳の後ろにそっと回り込んでいるのを見て、思わず微笑んでしまいました。

また、音楽を聴いている時のコントロールパネルも素敵です。アルバムアートワークの色を拾って、ボタンやスライダの色が微妙に変化します。しっとりとしたジャズを聴いている時は落ち着いた色に、ポップな曲の時は鮮やかな色に。こうした細やかな演出は、やはりAppleらしい「粋」な部分だなと感じます。実用性一辺倒ではなく、使う人の心に少しだけ潤いを与えてくれるような、そんな優しさ。

また、iPhoneで長い記事を読んでいるとき、スクロールに合わせて下のナビゲーションバーがスッと小さくなり、画面いっぱいに文字が表示されたとき。文字の重なりで少し不便に感じたその部分も、視点を変えれば余計な情報が遮断され、コンテンツだけに集中できる。その心地よさは、確かにこれまでのOSにはなかったものでした。

硬派なスタイルが好きだった私ですが、この「状況に合わせて姿を変える」という柔軟さも、ある種の強さなのかもしれないと思い始めています。柳の木が風に揺れながら折れないように、Liquid Glassのインターフェースもまた、ユーザの動きや環境にしなやかに寄り添うことで、使いやすさを提供しようとしているのかもしれません。

正直に言えば、まだ完全に慣れたとは言えません。今でもふと、「前のアイコンのほうがわかりやすかったな」と思うことはあります。

でも、道具というのは面白いもので、使い込んでいくうちに、こちらの身体感覚のほうがアップデートされていくものです。かつてiPhone 6Plusの丸みにショックを受けた私も、いつしかその滑らかな手触りを当たり前のものとして受け入れていました。

人間には順応性があります。今は違和感として感じているその「柔らかさ」や「曖昧さ」が、半年後には「心地よさ」に変わっている可能性だって十分にあります。きっと1年もすれば「前のデザインってどんなだったっけ?」なんて言っているのかもしれません。

Liquid Glassは、Appleが提示した新しい未来の景色です。

その景色が良いものなのか、それとも少し行き過ぎたものなのか。その答えが出るのは、もう少し先のことになるでしょう。今はまだ、丸みのある透けたアイコンに「私の家じゃないみたい」とソワソワしているけれど、このちょっと落ち着かない「ガラスの部屋」の中で、光の屈折や反射を楽しみながら、新しい居心地の良さを探してみようと思います。もしかしたら、住めば都。いつかこの柔らかい光の加減と丸みのあるアイコンが、手放せなくなる日が来るかもしれません。

みなさんは、この新しい変化をどう感じていますか?

もしよかったら、あなたの「正直な感想」も聞かせてくださいね。

ここまで読んでくれてありがとう。それでは、またね!